スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Comment (-)

『幻創のイデア〜Oratorio Phantasm Historia〜』 レビュー。

イデア

※ネタバレ注意

 『幻創のイデア』はシステムに用語解説があることからもわかるとおり、作品独自の設定を売りの一つとしている作品。ただ、これが物語に使われているわけではなく、どちらかというと登場人物のために使われているように見える。

 この作品、進行スタイルが主人公の発言とモノローグを普通のAVGと同じくし、それ以外の登場人物を吹き出しで進行するようになっている。吹き出しで進行するということは、誰が話しているのかを、文字ではなく感覚で解らせる。わりとこれってストーリー重視、もしくは設定重視の作品では噛み合わないと思う。『恋色空模様』であったり、『かみのゆ』であったり・・・吹き出し進行で高い評価を得ている作品は概ね登場人物を重視した作品ということが多い。設定を説明するということは、必然、普通の会話に比べて文字数が多くなってしまう。画面の色々な場所(登場人物が立っている場所)に動き回るというのは読むのが大変。だから、吹き出しで進行する作品では、登場人物の描写を濃くする作品に多く、またそれが効果的だと言える。

 それでもこのスタイルで描いていくこの作品。この辺りから登場人物に魅力を持たせようと腐心しているのがわかるし、設定を描きつつも、登場人物の描写を濃くしようとしているのがわかる。というか登場人物自体が設定ありき。なるが“厨二”という設定を失った時、それはわかる。魅力が失われてしまう。それもそのはず、彼女の原動力というべきものが“厨二”。登場人物としての核を失われた彼女が、読み手側に魅力的に映るわけがない。このなるが“厨二”を失い、戻るまでを描くというのは、読み手に再認識という作業を与えるため。設定の魅力・・・その再確認でもある。設定って基本は装飾品・・・だけどこの作品の設定自体が登場人物の核になっている。設定を物語のためではなく、登場人物のために用いる。

 登場人物はきっちり対比させるから魅力が出る。

 物語の進行は二人の主人公の視点で語られる。青年と少年。赫と優真。最初に二人が持っている物は違う。最初から力がある赫。最初から力はない優真。感情が希薄な赫。感情豊かな優真。それゆえに『幻創のイデア』は赫が人間的な感情を、優真が力を得ていく過程を描いた物語と言ってもいい。正反対の主人公を置くということはそこに比較が生まれ、二人の特性が浮き彫りになる。

 赫サイドのヒロイン。美月とノエル。そして、ヒロインではないが物語の進行で重要な鍵を握るひまわり。ひまわりは優真の妹だの・・・物語においての鍵を握っているけど、赫サイドの“進行において”も必要な人物。赫の人間性を獲得していく過程が描かれるこの物語。美月とノエルは出せないものがある。それは無垢。そういった意味で彼女の存在は必要なのだろう。ノエルは献身的なヒロイン・・・と言ってもいいし、人間の欲求の一つ、性欲を教えるヒロインと言ってもいい。それ以外にも、赫への情熱さがクールな赫を浮き彫りにする。色々な意味で、ヒロインとして必要な存在。

 美月は異質だと思う。あえての普通。この場合の普通は人間であるか否か・・・それは実態としてではなく、その考えにある。他キャラの異常性を浮き彫りにするためにこのヒロインがいる。普通じゃないヒロインが多いこの物語で、普通なヒロインって必要なんですよね。個性は単体で強いだけじゃだめ。弱さを出さないといけない。個としてではなく集団として・・・集団の中にあるから個性というものは生まれる。そのためにキャラ付けが弱いキャラ・・・普通代表として描かれた彼女。この造形は割を食らって人気のなさに繋がりそう・・・けれども必要なんですよね。超最強のような我の強い脇役ではなく、全体の登場人物の特性を浮き彫りにするための脇役。リノンとは別のアプローチでの名脇役と言えるでしょう。

 割と美月というキャラクターはお気に入りでして・・・人間ではなくなってしまった彼女。人間に戻ることを至上としていたけれども、それを捨ててでも仲間を助けようとする。最後まで人間に戻りたいという葛藤を描くのは彼女だけ。人間というこちら側の視点を持つため、わりと共感してしまったのがこの娘なんですよね。

 優真サイドのヒロイン。なるとリノン。なるは前述したとおり設定ありきのキャラ。途中で折れることで、設定ありきだというのがわかる。リノンはそれに対し、最初から最後まで、多重人格という“設定”に対して折れない。主人公を引っ張りながらも、主役以上に存在感を出す彼女は確かに名脇役。

 ココロは優真サイドでの無垢なものの象徴。心を失っているのにココロという名前を持つ彼女。ひまわりが子供らしく、情緒豊かであるのに対し、ココロは感情がない。そのため、感情が豊かな優真が彼女の相手役を務めるのは当然のこと。ココロが感情を得る過程を描くため、赫サイドとの対比として描かれている。

 進行システム、ダブルヒーロー、ヒロイン、ヒロイン以外のキャラクター・・・ココロとひまわり・・・登場人物の関係性。登場人物を描くことに腐心していく。

 けれど、バトルものとしてみた場合・・・消化不良を起こす。赫と優真。最後に人間性と力。二人がどちらも持つというその極限において、二人は同質のものと言える。だから、物語の最後は激突を紡がず、解り合う。登場人物の魅力をバトルに反映させようと願うなら、心情をぶつけ合う激突が必要だ。ゆえに、バトル物としてみたとき、解り合うことで描くこの作品のラストは消化不良だし盛り上がらない。

 それもそのはず、この作品は感情を得る過程と、力を得ていく過程をそれぞれ別の視点で・・・ひまわりとココロを通じて・・・描いただけの作品、それ以上でもそれ以下でもない。

 それでいいと思いますがね。美月かわいいし。

レビュー一覧へ
関連記事
スポンサーサイト

管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。