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『フラテルニテ』 レビュー。

フラテルニテ


※ネタバレ注意

 

 心地よいだけがエロゲではなく、負の面を見せることができるのも、また18禁であるエロゲだなと。『euphoria』が人の負の面を見せつつも、最後の最後は人の純粋さ・・・正の部分の落差で圧倒したことは記憶に新しいですが、本作は最後の最後まで負の面を見せ続け、ついぞプレイヤーにとっての救いなどは描きませんでした。この点だけ取ってみても、シナリオの趣向は全くの別物になっていると言えると思います。

 開幕からグロテスク、汚物のグラフィックス表現のフィルタ設定を選べる本作は、食糞、食ザー、スナッフ、死姦など挙げればきりはないですが、グロめなシーンも結構多め・・・。とはいえ、グロテスク表現に至っては臓物などをグラフィックスで表現しきるわけではないので(1シーンを除いて)、凌辱ゲーなどをプレイし慣れた方にとっては、そこまででもないかもしれないかなとは思います。

 また、シーンのほとんどをアブノーマル・・・同性愛、女装癖、浮浪者による輪姦、スカトロ、尿、フィストファック、SMなど・・・なシーンで占めていますが、基本的にヒロインたちは嫌がる素振りを見せない。薬、もしくは快楽堕ちしているので、進んで受け入れていく。この辺りも好みが別れそうです。

 性的な嗜好は人の数だけあり、特殊な性癖自体を否定することは誰にもできないと思いますが、この作品で行われていることは、今現在の社会的には許容はされていない行為であることは事実です(円夏エンドとかが許容されたらさすがに怖いですし)。そのため、このような題材を扱った作品は、プレイヤーの日常からはかけ離れたものとなり、縛っている理性や道徳心を解放・・・非日常での曝け出した彼らの心情が非常に興味深い。他者の禁忌は蜜の味とでもいいましょうか。エロゲというニッチなジャンルを楽しんでいる身としては、こういった趣向は大歓迎です。

 怪しげな団体に関わることで、狂っていく人々。この物語が描くのはそんな彼らが悲劇に至るまでの過程です。

 「かならず君を救ってみせる」(---『フラテルニテ』.パッケージ裏より)

 友愛クラブ・・・過去の傷、もしくは薬を用いて性的嗜好に付け込み、倫理的にはまずいと思える行為を行わせ、それを「救いだ」と騙す怪しげな団体。主人公は、ここに属する姉の美桜と愛を救いたいと行動していきますが、彼は結局何もできず、この作品で「結末」と称される物語では、彼女らはことごとく死んでいきます。

 「救いなんてない」(---『フラテルニテ』.パッケージ裏より)

 本当に彼女たちに「救い」はなかったのか。本作をプレイすると「救い」は登場人物の数だけあり、また、この「救い」は大きく二つに大別できるのがわかると思います。友愛クラブが意図する「救い」は主人公にとっての悲劇となる。主人公が考える「救い」は友愛クラブからヒロインを離れさせることであり、主人公=プレイヤーからしてみると、姉も愛も死んでしまう「結末」は確かに「救い」がない。ただ、死んでいった本人たちから見たらどうか。

 この作品は視点変更が頻繁に行われます。視点変更は、違う物語が最終的に一つに交わるようにする作品が多いのですが、多分、この『フラテルニテ』という物語で起きた出来事を追うだけならば、主人公と愛の2視点だけで十分であり、わざわざそれ以外の視点を加える必要性はないと言えます。ではなんのためにあるのかというと、この作品の場合、視点変更は彼女たちそれぞれの「救い」の形を、彼女たちそれぞれの内面から描くようにするためです。

 それは見るものによって、「救い」の意味が変わるから。

 過去に強姦を受け、強姦された辛さを癒すために、セックスに慣れることを選ぶ・・・男に求められ、抱かれることは等しく幸福だと思い込むことにした美桜。底辺だと思う人間に犯されることに、穢れていると思われる行為に興奮を覚える紗英子。いじめられていることが人とは違うというステータスだと思えている戸田(序盤こそ、いじめられていることに酔いたいのではなく、いじめられていることに酔わないとやっていけない状態だったが、クラブと関わることで本当に虐められている自分は特別なのだと思い始める)。普段からの行動が他者依存であり、他者に手綱を握って貰うことに快感を覚える…真性のマゾの円夏。心は女…女装をしている時こそが、自分の本当の姿だと言い切り、女装をして男とのセックスシーンがあり、男性器を切り落とした瑛。

 視点変更は、登場人物それぞれにとっての「救い」の形の提示となっている。結末こそ、切り刻まれて標本化してしまったり、股から脳天までドリルに貫かれて死んだり、頭を叩き割られたりと悲惨としか思えませんが、そこに至るまでも、いや、死ぬことをちゃんと認識出来なくなってしまうほど、最後まで快楽に身を委ねたと考えると、多分、当人にとっては幸せだったのだと思います。

 「救い」は各々の特殊性癖の解放・・・つまり、この作品で言う「救い」とは“特殊性癖の肯定”でもあるのです。

 「そういうのもよくわからないの。みんなが楽しいと思っていても、私にはそう感じられなくて・・・」(---神村愛.『フラテルニテ』)

 性的虐待を受け、楽しさや嬉しさといった感情がないとして描かれた愛。彼女のエンド・・・本作の「結末を見届ける」で描かれたのは、本作で唯一ノーマルなセックスです。犯されてきた自身の身体への嫌悪感は、主人公に女の子として抱かれることで。取り返しのつかない行動への嫌悪感は、死で。この二つが彼女にとっての「救い」となっているのは容易に想像が付くと思います。後ろ向きだとは思いますが、彼女のこの行動を悪であると断じることは、あの状況での心境を類推でしか語れないぼくには出来ません。

 だから、せめてラストシーンで彼女が感謝するあの瞬間だけは、“彼女にとって”は「救われた」のだと願って止みません。

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