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『空飛ぶ羊と真夏の花』 レビュー。

空飛ぶ羊と真夏の花

※ネタバレ注意。



 以下、長文に毒が混じります。ご了承いただける方のみお読みください。


 Navel honey bell処女作「空飛ぶ羊と真夏の花」。Navelの姉妹ブランドだけあって、場面転換のSE、シーンスキップなど・・・システムが流用されているせいか、雰囲気が過去作に似ています。システム以外にも、キャラクターを多様に描くと言う点で似ているなと(サブキャラクターの多くが顔グラフィックスあり・・・というか、ほぼ出番のないモブキャラですら用意されている。それでいて、顔グラがないキャラクターもボイスを完備の徹底ぶり)。

 個別シナリオはヒロインとサブキャラクターを絡ませて話を進行させる。濫と芽愛は弟、優兎はあすみ、琴耶はフロレンシア、詩依奈は神谷。それぞれのルートは攻略ヒロイン以外の他のキャラクターは、ほとんど出番がなくなってしまうなんてことはなく、終盤まで他キャラクターの関係を描けている。ヒロインと主人公、二人だけの関係に終始するなんてもう最悪なんですが、そうはならない。キャラクターを多様に描けているから、こういったことが出来るという点は過去作にも通じる点がありますね。ところどころに入る2CHネタとかを許容出来るのであれば、全体的に過去作と同じく、楽しめるかと思います。

 だから、問題は、これまでのNavel作品と異なった主人公設定の使い方。

 特殊な設定のヒロインに巻き込まれていく世界制服彼女、SHUFFLE。一般人ではないが、その主人公設定は服飾関係のシナリオ展開、主人公が女装をするための理由付けでしかなく、つまり主人公設定は共通シナリオを描くためにあり、進行自体はヒロイン側の設定を主軸に置いた月に寄り添う乙女の作法(「俺たちに翼はない」は主人公が物語を主導する作品ではありますが、群青劇のため、単純な比較は出来ないので除きます)。

 これらに対し、主人公主導というか、主人公の設定にヒロインが巻き込まれるのが本作。このため、終盤の展開が概ね固定されてしまい、いちゃらぶが削られる結果になり、人によっては読後感の阻害になったかもしれません。

 「あなたは神様だったのです。 地上に降りた妹女神さまを探すために、人間として “転生” したのです!」(---空飛ぶ羊と真夏の花.ストーリー紹介より)

 力を失った妹女神を元に戻すため、人間に転生した主人公が、妹の力の欠片である“フラグメント”と呼ばれるものを回収するゲームを行う・・・これが主人公の設定であり、シナリオの流れ。

 フラグメントとは何か?


 メリエル「ご想像の通りです。でもですね、フラグメントは自分で手放したいと思ったら、手放せるです。叶えた願いより大事なものが出来たり、願い自体を放棄したり・・・・・・色々、回収のチャンスはあるです」(---空飛ぶ羊と真夏の花)


 ヒロインたちの願いに必要なものであり、彼女たちの願いが必要でなくなったとき、もしくは願いより大切なものができたとき・・・フラグメントが不要になったとき、フラグメントを回収することができる。その願いとは、オープニングムービーの前で語られています。

芽愛は「もっと強くなりたい」
優兎は「もう一度歌いたい」
濫は「使徒の絆を強くしたい」
詩依奈は「学園に出来るだけ長く通い続けたい」
琴耶は「恵くんに、ずっとそのままでいてほしい」

 注目すべきは、個別シナリオの時点では、これら彼女たちの願いはすでに叶えられたものであり、どのルートもその願いを取り止めることが出来なくなっている点。

 芽愛シナリオで、彼女の願いである「もっと強くなりたい」は、弟の投手生命を天秤に掛け、最終的には自立した強さを得るまでを描いている。これは最初の願いとは異なるものの、結局は弟のためにフラグメントを用いてしまっている。優兎は歌えなければ死んでも良いという言があるとおり、もう一度歌えなくすることはできない。死が規定されていた詩依奈は、フラグメントのおかげで、生き延びられている。濫シナリオは人間に知られてはいけない力の行使をしなければならなかったための、ルール破りによるゲーム終了。


 「それはあるお嬢様と、彼女に使える執事と、四人の少女たちが過ごす夏の日々――」(空飛ぶ羊と真夏の花.Opening Movieより)


 OPで差別化を図られている琴耶は例外。彼女は最初からフラグメントが必要ない。ただ、それでも結局、全てのフラグメントを回収することができないのは、他の個別シナリオでもわかっていたことであるし、回収後に妹を見つけることも出来ないのです。

 つまり、フラグメントの回収をどのルートも出来ず、ゲームのルールとして主人公は存在を消すことになる。この主人公設定がどこに出てくるのかというと、終盤。この主人公設定により、どのルートも別れを描くことになります。

 この「別れと再会」が意味するところがわかりづらい。

 別れの場面は1ルートをプレイしてしまえば、どのルートも再会することが予測できてしまうし、ヒロインは別れに対して懊悩しないので、別れの辛さなどは描けているとは言えない。では、再会の場面。この作品は神の力で再会・・・再会に奇跡を用いる。奇跡を扱う際、都合の良すぎる展開は下手をしたらご都合主義と誹られる可能性がある。現実に則している必要はないが、その現実と都合の良い展開を埋める説明が必要になると思う。だから、奇跡の行使には、意味を持たせたり、代償を支払わせたりする作品が多いのです。

 この作品はどうでしょうか。どのルートも最終部分は妹の犠牲で成り立っている。その犠牲は、兄と数十年間会えないことを示している。ただ、作品内でほとんど永遠の時を過ごしているので、この兄弟にとって、数十年なんぞ一瞬だろうとの言及があることから、これに代償としての意味は薄い。

 結局のところ、別れと再会に意味を持たせられているとは言い難くなってしまっている。それなのに、この主人公設定により、いちゃらぶが削られる結果になり、終盤の展開が概ね固定されてしまう。このため、人によっては読後感の阻害になったかもしれませんと言ったのです。


 「雲の上の居城。俺はその床に寝転がり、日がな一日、思い出したように地上を眺めるだけで過ごしている。怠惰、無為、退屈。飽きても終わることのない余暇。何もするべきことがない俺は、いったい何者なのか」(---空飛ぶ羊と真夏の花)


 メリエル「あなたは、そういう人だったんです・・・いえ。そういう神様だったんです。人間の願いが届いても、何も悩んだりせず、ただ地上を眺めているだけでした。そんなあなたを見ているのは、とても歯がゆかったんですよ」(---空飛ぶ羊と真夏の花)


 別れと再会を必ず最後に持ってくるのに、それがまるで意味をなさない。唯一、ここに意味を持たせられるとしたら、妹関連だけ・・・。この作品における「ゲーム」の開始は、妹の私的な感情・・・それは兄への想いが発端。そして「ゲーム」を行う過程で、もっとも懊悩するのは、誰よりも主人公その人です。「ゲーム」が人間的な感情を得る過程・・・何にも興味を持たない主人公が、人間・・・というか妹に興味を持って貰うために「ゲーム」は存在していると言える(妹からしてみれば、人間に興味を持ってくれれば恋愛感情に発展してくれる可能性が出来るということ。ノーマルエンドの終盤が一番これを表していますね)。

 つまり、何十年何百年掛けても、妹がどうにかこうにか兄を振り向かせる。その一端を描いただけの作品、ということですか・・・。


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